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後援会より

 宮下ゆみこ後援会では随時会員の受付をしています。宮下ゆみこのまちづくりを応援していただける方、後援会の趣旨に賛同しご協力いただける方は、後援会事務局までご連絡ください。

宮下ゆみこ後援会事務局
〒061-0512
樺戸郡月形町市南1
電話 0126-53-2611
Fax 0126-53-2611
メールmail@yumiko3.net


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宮下ゆみこのまちづくり活動記録
1994年4月(27才)  北海道月形町に移住
1997年(30才) 認可保育所設立に向け、行政に働きかけ
1998年11月(31才) 学童保育所設立に向け、仲間と運動(1999年4月開設)
2003年12月(36才) つきがた未来21設立 副代表(〜2005年3月解散)
2004年4月(37才) 北海道地方自治土曜講座受講開始(〜継続中)
 11月(37才) 月形町まちづくり推進会議委員(〜2006年11月)
2005年4月(38才) つきがた まちづくりNPOふきのとう設立 代表(〜活動中)
 6月(38才)  北海道自治体学会政策シンポジウムの町村合併に関する分科会でパネラー
   を務める
2007年2月(39才) 雑誌「農家の友」の「カントリーライフへご招待」を掲載中


まちづくり活動を始めた「きっかけ」

 1997年(平成9年)、それまでは子育てと始めたばかりの農業に追われ、まちのことや身の回りのことに至るまでじっくり見つめて考える余裕がありませんでした。ただただ毎日、目の前にある作業をこなしているだけの状態でした。
 上の子は4歳(下の子は0歳)で、南地区広域集落会館で間借りしているマリア院季節保育所に通っていました。マリア院季節保育所はその前年まで新田教会の敷地内にありましたが、危険家屋ということで取り壊しとなり、次の季節保育所を建てるまでの間、場所を変えて開所していました。
 私が保護者会に入った段階では既に、保護者会と町(季節保育所設置者)との間で「季節保育所を建て直す」という方向で合意ができていました。ただこれからの保護者の動向(共働き世帯が増える。高齢化に伴う家族介護が増える。通年保育を希望する。保育の質の向上を求める。)から「認可保育所という選択肢を加えて欲しい」という働きかけを、私を含めた一部の保護者が行いました。
 その後、町や保護者、小さい子供を持つ親などが加わって再度検討され、最終的に認可保育所「花の里保育園」が誕生しました。
 今まで行政は遠い雲の上の存在であり、誰かが決めてくれるものだと思っていました。それがこの時、自分の身近な問題を自分達の視点で見つめて提案すれば行政に参加できるということが分かり、行政や「まちづくり」に興味を持つきっかけとなりました。


原点

 1998年(平成10年)11月、翌年の春に認可保育所「花の里保育園」が開設されることが決まり、その請負事業者である札親会も同席した説明会で「学童保育の事業は行わない」ということが告げられました。
 私達保護者は、認可保育所の開設と同時に学童保育所を開設して欲しいと希望しており、アンケート結果からもその必要性が指摘されていました。しかし、札親会は認可保育所の事業は行うが学童保育の事業は行わないと決定したため、学童保育の請負先が無くなり、そのまま学童保育が開かれないことになってしまったのです。
 それからの4ヶ月間、学童保育を必要と考える有志数名が集まり、開設に向け動き出しました。
 まずは情報収集。学童保育の実態を札幌市や東京に見に行き、学童保育の実態と問題点を自分達の目で確かめました。それに合わせて助成金制度を調べ、開設に必要な要綱を検討し、行政や関係する機関(民生委員、社会福祉協議会、議会、教育委員会など)に働きかけました。また同時に町内の子供を持つ親から「学童保育所開設を求める署名」を集め、町議会に提出しました。その間、行政との懇談会を数回持ち、結果1999年4月からの開設が決定しました。
 学童保育所「きららクラブ」は、町が施設(母と子の家)と職員の給与を提供し、保護者会が運営の主体になるという形で動き出しました。空知管内の町村では最初にできた学童保育所でした。
 初年度は時給のパート指導員1人(定員10名)による体制でしたが、現在は嘱託職員の指導員2名とパート指導員数名(定員30名)で障害児保育も行う画期的な学童保育所です。近年、時期によっては待機児童も出る(改善の必要がある)盛況ぶりです。これは保護者会と行政が一体となって利便性の向上と体質改善に努めたからに他なりません。
 この時の経験は、その後の私の「まちづくり」の考えに大きく影響を与えました。自らが動き、自ら調べ、自ら提案することにより、行政が変わるという事実、そしてそれに協力、参加してくれる町民がいることも体験しました。
 これが、私の「まちづくり」の原点といえます。


発展

 学童保育の開設以降、運営に携わり改善に努める一方、まち全体に関することにも興味を持ち始めました。
 2003年(平成15年)9月、町村合併に関する説明会が行われ始めました。この時点では特に関心もなく、合併問題は日常生活から遠い話題でした。ただアンケート調査などが行われ、時間と共に気になる存在になっていきました。
 同年11月、アンケート結果と行政の判断との食い違いが気になり、説明会に参加しました。そこでは数字の根拠もあやふやなまま、月形町の方向性が決められているのに驚きました。それからは「月形町の真実の姿が知りたい」と資料を集め、関係機関に問い合わせ、勉強しました。
 そんな中、合併問題を真剣に捉える有志が集まり「つきがた未来21」という団体を結成し、私は副代表になりました。その活動は合併問題についての情報収集、理論構築、町民への情報提供が主なものでした。勉強会の開催の他、合併問題の疑問点や将来の姿を提案する広報誌を発行し、多くの町民やマスコミと一緒になって集中的に活動しました。
 2004年(平成16年)2月、道内2例目の住民投票が行われ、2005年(平成17年)3月までに「合併する」が多数を占める結果となりました。この住民投票では開票条件として投票率60%が設定されていましたが、実際の投票率は84.79%となり町民の高い関心が示されました。
 その後、住民の意思とは裏腹に合併相手先が無くなってしまい、「仕方ナシの自立」という現状です。住民の意思が反映されなかったことは残念でしたが、短期間に住民の多くが自治に目覚め「自分のまちのことを自分で考える」という姿勢が芽生えたことは誇らしいことで、この一連の騒動によってもたらされた財産だと思います。
 しかし私個人としては、ここに至るまでの町や議会の説明や対応、および住民投票条例に盛り込まれた開票条件の設定など、一連の行動に不信感を抱きました。そして町民の代表である議会と、町民の財産と安全を守る行政は、常に町民と向き合い、全ての情報を公開し、真摯な態度で事を進めて欲しいと願うようになりました。
 今までの行政や議会との関係から一歩進んで、町全体を見すえた中で、自分にできることはないか模索するようになりました。


現在

 そこで2005年4月、同じ考えを持つ有志十数名で「つきがた まちづくりNPOふきのとう」を立ち上げ、代表になりました。ここでは「まちづくり」を主眼に「開かれた対話の輪を広げながら、町民が主体のまちづくりを実践していきたい」と考え、「住み続けるまちづくり」をテーマに活動を続けています。設立2年間で、ふきのとう広場(対話の場)を6回開催し、広報誌「ふきのとうだより」を7回発行しました。これらの多くは町内に住む魅力的な人の紹介であったり、様々な取り組み(ゴミ、福祉、地産地消など)の紹介と提案であったり、行政では行えない横の繋がりを重視した活動を展開しています。
 また別のNPO活動として、2007年1月、環境NPO「地球を愛する会@月形」の設立に携わり、現在幹事としてNPOの活動に参加しています。こちらは「地球温暖化の阻止」という壮大なテーマのもと町民のみならず全国の人に呼びかけ、地球温暖化阻止のための行動を起こそうというものです。テーマが身近で明確な上、多くの人の関心が集まっているので、急速に新たな繋がりが広がっています。
 それから2007年2月より雑誌「農家の友」の「カントリーライフへご招待」というコーナーの連載を始めました(3ヶ月に1回、計4回の連載)。これは田舎暮らしの良さを自分の感性で読者に伝えるもので、まちの良さを全道にアピールするいい機会だと思っています。まちづくりは地域で活動するほか外部にアピールし、自信と誇りを深めることも重要だと考えています。こうして多くの人に発表できるこの連載はいい機会になったと思っています。
 最近はさまざまな分野に目が向くようになり、その全てが「まちづくり」に繋がっているという感じです。ということは、私にとっての「まちづくり」は楽しみであり、元気の源であり、ライフワークであると言えます。この「まちづくり」をもっと深く広く、未来に向かって繋げるよう、よりいっそう力を注いでいきたいと思います。

宮下ゆみこ


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