2012年05月06日

42年ぶりの[原発ゼロ]に思う

2012年5月5日、国内で唯一稼働していた原子力発電所/北海道泊3号機が定期検査のため停止。これで、国内にある商業用原子力発電所50基全てが止まり[原発ゼロ]の状態になった。

東日本大震災が起きるまで、こんな早い時期に[原発ゼロ]の日が来るとは・・・考えられなかった。
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というのも、私が小学校で習ったのは「日本の電力は、火力7割、水力2割、原子力1割」の時代で、原子力発電が既に生活の一部になっていた。それにオイルショック以降「原子力発電は安定的な電力源」と言われ、割合を増やしているときだったから。
それから「原子力発電は需要があってもなくても一定量発電するので、夜間は余剰電力となってムダになってしまう。それを活用するのが揚水式発電(夜の間に水をくみ上げ、昼間に水力発電する方式)。家庭向けには夜間電力割引を導入して、需要の平準化を計っている。」とも教わった。
「へ〜」と感心したので頭に強く残った。原子力発電は極当然に暮らしの一部だった。

その後【核廃棄物と処理】の問題を知り「原子力発電を続けて大丈夫なのだろうか?」と疑問が湧いてきた。

そして【スリーマイル島原発事故】【チェルノブイリ原発事故】。どちらも衝撃的で、報道に釘付けになったのは言うまでもないが、私の中で最もショックだったのは1999年に起きた【茨城県東海村JCO臨界事故】。
放射性物質を扱うのは徹底管理された場所と人だけだと思っていたのに、普通の実験棟の中でバケツを使って混合するなんて!! そんな簡単に放射性物質を扱う人がいることが信じられなかった。
ラジオから流れる事故の第一報で「作業員が、青い光を見た」と聴き、全身に鳥肌が立ったのをハッキリと覚えている。開放された空間で臨界が起きているなんて!! 放射線を浴びるとはどういうことか、生々しい現実を目の当たりにして身がすくんだ。

しかしながら政府は「温暖化防止のためにはCO2削減が欠かせない。原子力発電は有効」という展開に。この論理展開に全く納得できなかったが、いつしか原発は全電源の3割(北海道電力では4割)を占めるまでになっていたし、これからも延びる計画に・・・。「原発がゼロになる」なんて、とても考えられなかった。少なくともあと20〜30年は、今のままでいってしまうと思っていた。

2011年3月11日・東日本大震災発生。【福島第1原子力発電所事故】
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原子力発電が停止しているこの状況は、私たちから下の世代には初めての状況になる。
安定的に昼夜の分けなく供給される電気があることが前提で構築された暮らしは、もう過去のモノ。
今まで良しとされたものが、そうでなくなった。
今まさに《転換点》を迎えている。

そしてもう一つ。
国が決めたこと、国が望むことが最優先される時代ではなくなった。
個人の考えを表明する場も、つながる手段も増え、共感することが大きな力になる時代になってきた。
一人一人がどう考えるか、どう行動するか
地域がどう考え、どう行動するか
意思決定の方法も責任も、《転換点》を迎えていると感じる。

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