2012年01月12日

3市町共同ゴミ処理施設の情報【2012.1.12/北海道新聞朝刊より】

岩見沢市と美唄市、そして月形町による「広域ごみ処理」は、10月21日に交わされた首長間の基本合意で既定路線となり、10月25日の全員協議会で月形町議会も了承。続く町政懇談会や広報等で町民に広く周知されました。

その後は(月形町)議会に対する報告はなく、負担割合や建設費の検討経過はわかりませんでしたが、本日の北海道新聞/朝刊/空知版に新たな情報が掲載されていたので、ここに転載します。

3市町 共同処理施設127億円 維持管理費は年6億円           【北海道新聞 2012年1月12日朝刊】

【岩見沢】市は11日の市議会民生常任委員会で、岩見沢、美唄、月形の3市町が共同で建設し、2015年度から運営するごみ焼却炉や最終処分場の施設整備費について、総額が127億1700万円に上ることを明らかにした。

 内訳は1日100トン処理できる焼却炉に77億5千万円、ガラスや陶器類などの燃やせないごみの破砕選別機施設に11億7千万円、新たに造る最終処分場に25億9千万円を見込んでいる。
 財源に国の交付金や合併特例債をあてる方針で、3市町の実質負担は48億4200万円。このうち岩見沢が39億6200万円(82%)、美唄が6億2100万円(13%)、月形が2億5900万円(5%)となる見通し。

 これとは別に、維持管理費は年間6億1200万円で、3市町が合意した共同での処理期間の15年間で計91億7400万円と試算している。
 この負担割合は、岩見沢が81億8800万円(89%)、美唄が7億2200万円(8%)、月形が2億6400万円(3%)と見込んでいる。

 建設予定地は岩見沢市内で、現在、地権者と交渉中といい、年度内に公表する方針。

この記事とは別に、同紙面に以下の見出しもありました。

岩見沢市 紙類、「資源ごみ」に  13年度中 減量へ有料化と同時

岩見沢市の常任委員会で報告された数字なので、これが現段階での正確な値なのでしょう。
色々思うところや疑問点はありますが、月形町議会議員としては現段階で理事者からの正式な報告を受けていないので、この情報に対するコメントは控えたいと思います。おそらく1月18日に予定されている臨時会の全員協議会で説明があると思われます。そのときの報告で詳しく。
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<個人的な備忘録として>
■今回示された数字の詳細はどこまでの費用を含むのか?
 ・「3市町の共同ごみ処理場」本体3施設にかかる建設費と維持管理費だけなのか?
 ・新たな処理場建設に伴う月形町単独の追加設備分や経費も含まれるのか?
   ・追加設備(新処分場への運搬用パッカー車の増車分、一時保管用ストックヤード建設)
   ・運搬経費

■施設の性能と運用
 ・焼却炉の性能と耐用年数、ゴミ量減少時や燃焼温度低下への対応
 ・破砕選別機の性能、粗大ごみの対応
 ・最終処分場の計画運用年数
 
■その他
 ・3市町の共同処理ゴミ量の推計
 ・供用開始までのタイムスケジュール
 ・新処分場建設後、岩見沢市のリサイクル品分別はどこで行われるのか(新規処理場内?)
 ・美唄市の生ゴミ処理はどうなったのか?
 ・月形町が現在運用している衛生センター(最終処分場・リサイクルセンター)の維持管理費は
   どの程度縮小できるのか?
 ・総合的な「月形町ごみ処理経費」の推移(推計も含む)

2012年01月09日

平成24年 月形消防出初式

日付は前後しますが、1月5日に月形消防の出初式がありました。

この日は未明から朝にかけて(石狩市厚田と月形町付近だけの)局所的大雪でしたが、日が昇り出してから落ち着き、出初式開会時間には風も止み晴れ間ものぞく穏やかな日和になりました。

月形消防の出初式は3部で構成されています。

まず、岩見沢地区消防事務組合月形支署前で「開始宣言」があり敬礼や観閲(=消防の状況を、関係者等が検閲すること)が行われます。

続いて分列行進。月形支署前を出発し役場前を通って交流センターまで、消防団本部(女性団員を含む)を先頭に第1分団、第2分団、消防関係車両(消防団配備のポンプ車や消防支署の広報車、工作車、救急車等)の順に隊列を作り、勇ましいラッパの音とともに行進します(写真)。

そして最後が交流センターで式典。メインは団員(定員80名:現在78名 うち女性11名)と職員の表彰です。
1.消防庁長官表彰   /功労章 門脇団長
2.北海道知事表彰   /勤労章(20年)2名、表彰状(10年)4名
3.北海道消防協会長表彰/特別功績章 1名、勤続章(20年)3名、勤続章(10年)4名
4.月形消防団長表彰  /優良団員表彰(平成23年度の消防団活動への参加率85%以上)9名
5.岩見沢分会勤続章  /勤続章(15年)6名、勤続章(5年)5名

式典での挨拶や祝辞では、日頃の消防活動に対する感謝の言葉とともに東日本大震災での消防団や消防職員の活躍と被害(殉職者 約270名)にも話題が及び、住民の生命財産を守るために危険を冒しても活動する消防という仕事について再認識することになりました。
また平成23年は災害の多い年で、全国各地で水害があり避難勧告や実害が出たこと、月形町においても9月の台風による石狩川警戒水位超えにともなって内水の排水ポンプを設置したことの話もありました。
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毎年のことですが、出初式を通して「消防」というものを色々考えさせられます。特に今年は東日本大震災での消防団活動を目の当たりにしただけに、より一層その重要性と危険性を認識しました。

人口の多い市などは消防職員の数も多く、火災が起きた場合でもある程度職員で対応できると聞きますが、月形町のように小規模自治体で市街地が分散しているような田舎では、町民による消防団がどうしても欠かせません。特に冬場、大雪の時などは移動にも時間がかかるために、地元での初期消火が何よりも欠かせないでしょう。

また高齢化が進み独居宅が増えている現実から、女性消防団員による火災予防巡回も需要が伸びているとのこと。いままで家族や地域、民生委員などが対応してきた分野へも(形は違っても)消防団が関係していかなければならない状況になってきていると思います。

月形町は岩見沢市と一部事務組合を設置しているので消防団員の待遇も同一ですが、住民生活における消防団の役割は自治体の規模や状況により違っています。だからこそ、その重要度に見合った報酬や処遇を考え、実践していくべきだと私は考えています。
私は理事者でなく、消防議員でもないので、直接提案できないのが残念です。

2012年01月08日

平成24年 月形町成人式

全国的に、成人の日(1月9日)を含む3連休のどこかで成人式が行われますが、月形町では例年連休の初日(土曜日)に行われます。今年は暦の関係で最も早い7日に開催されました。

会場の交流センターには、「ハレの日」を迎えて誇らしげに旧友や恩師と談笑する新成人、子ども達の成長の区切りを迎えてホッとした表情の保護者の皆さん、お祝いに駆けつけた町内の皆さんと関係者とが集まり、華やかで和やかな雰囲気がいっぱいでした。

新成人の皆さん、おめでとうございます。

それにしても、成人式っていいですね。その場にいるだけで「希望」や「郷土愛」「若い力」をお裾分けしてもらえたような感じです。すっごく元気が出てきました。
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そうそう、今回の成人式にはNPO法人コミュニティーワーク実践センターの利用者Eさんも新成人として参加していました。彼女は昨年春に月形町に住民票を移し、住み込みで農作業や地域行事、ボランティア活動などに参加して普通の町民以上に様々な多くの町民とつながりを持ってきました。

そんな彼女のハレの日を祝うため町内の皆さんが家に眠る晴れ着を提供したり、成人式に集まったり、祝宴をもうけたり・・・様々な形でお祝いしてくれたそうです。素敵ですよね。
(この様子は同NPO法人の月形での活動を紹介するブログ「月形日記」に掲載されています。)


成人式で、またも月形町の魅力を発見できました♪

2012年01月07日

2012年(平成24年) 今年もよろしくお願いします

寒の入りも済み、松の内も明け、七草粥を食した1月7日。今年初めてのブログになります。

写真はいずれも平成24年元旦に撮ったもの。

右は、まもなく初日の出を迎える月形町役場と樺戸博物館。夜明けの中で刻一刻と表情を変える空色と、暗がりから一瞬で浮かび上がった建物がとてもきれいで、新年の幕開けにふさわしい希望に満ちた瞬間です。

そして下の写真は、須部都川にかかる柳橋から撮った初日の出。川面から川霧が立ち上り始め、幻想的な雰囲気の中で初日の出を迎えました。おぼろげな光は現在を表現しているかのようですが、この後明るい日差しをたたえ、穏やかな三が日を迎えています。

みなさん、2012年(平成24年)もどうぞよろしくお願いいたします。

さて今年のお正月、私は今まで以上に「心の充電」に努めました。昨年の震災で知らず知らずのうちに開いてしまった心の穴を埋めるにはやはり心の栄養が必要ですね。意識的に家族との時間を大事にしたり、伝統的なお正月行事に関心を持ったり実践したり、趣味の手芸に没頭したり・・・。

心が満たされると自然に「やる気」も「元気」も湧いてくるものです。ここ数日は議員としての意識が強くなり、「月形町の今年の課題と展開」「議員活動報告書の草稿」「月形町の将来展望」などが常に頭に浮かんで・・・
さあ、仕事が待っています。

今年も気合を入れて、前向きに行きましょう。
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お正月休みに読んだコラムの中で印象に残ったものがあったので、紹介と感想を記します。

■戦後社会が終わり「災後社会」がやってきた (猪瀬直樹の「眼からウロコ」2012年1月4日 nikkei BP net

コラムの主旨は … 日本人は今まで「戦後○○年」という捉え方して「戦後社会」を生きてきたが、これからは「災後社会」を生きていかなければならない。 … というもの。

確かに東日本大震災の影響は大きく、社会の捉え方の基軸を変えなければならないと私も感じてはいたものの、「戦後」と「災後」を同一に捉えるまでには至っていませんでした。ただこうして指摘されると、確かに!! はっきりとした言葉に置き換えられたことで、課題と展開が明確になりました。

東日本大震災後、被災地だけでなく日本全体・日本各地として多くの課題が浮かび上がってきたと感じます。「絆」を意識した精神面だけでなく、一層支援が必要とされる地方の問題、高齢化や過疎化。生命の安全に大きく関わる原子力や食の問題、産業や日常にとっての電力の問題など。震災後に発生した新たな問題に加え、震災前から顕在化していた問題が喫緊の課題になったと言えます。また今後、復興に関わる増税や社会構造の変化が避けられないでしょう。加えて今まで先送りにしてきた社会保障や格差対策、国債残高の増大、外交や為替、経済・・・

問題点を上げればキリがありませんし、なにか暗黒時代のような印象を受けてしまいます。が、これを「災後」と捉えれば・・・戦後の復興期のように、とにかく前に向かって進むしかないと覚悟ができます。未来が今より良くなるように、子供たちに負のつけを回さないように、と今の私たちに何が出来るのか、最善を尽くさねければ!

東日本大震災の前と後とでは様々な状況が大きく変わっているのに、その渦中にいる私たち(特に未来に向かう仕事をする政治や行政関係者)は案外理解できていないのかもしれません。

とすると、月形町議会議員の私にいま求められている仕事とは、3月定例会の平成24年度予算審議でこの「災後」を充分意識した審議と判断をすることですね。前向きに、前向きに行きましょう。
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どこに書いてあったか忘れてしまいましたが、
「脳を活性化させるには身体を動かすしかありません。身体がスイッチになっているからです。だからまず動きましょう。朝「眠い」とそのまま寝ていてはいつまでたっても起きれないけれど、起きてしまえば目は覚めてくるのです。」
とありました。なるほど〜。

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