2008年07月02日

平成20年度 月形町戦没者追悼式

  
今日の午前中、町内赤川にある樺戸神社境内の忠魂碑前にて、戦没者追悼式が行われました。

追悼式には、遺族の方々の他、北海道知事(代理)、町内宗教関係者、町議会、各種団体の代表者など50余人が参列し、130人の戦没者に追悼の気持ち現しました。普段はひっそりとした忠魂碑の前に祭壇が設けられ、ひときわ華やかだったのが印象的でした。

式典中「式辞」や「追悼のことば」で戦後の大変な状況が幾度となく語られました。戦後63年を経た今でも遺族の方々にとっては「戦後」は続いているのだと感じ、このことに無頓着になっていた自分を恥ずかしく思いました。
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私事ですが、既に他界した私の祖父は太平洋戦争時、南方へ出兵しました。
私が通っていた中学と高校では、夏休みに「戦争体験者の話を聞いてレポートにまとめる」という宿題が必ず出され、その時は普段戦争の話をしたがらない祖父も、思い出したように少しずつ語ってくれました。子供だった私にとって戦争の話は暗く恐ろしく、「宿題でなければ聞きたくない」ものでした。それでも聞かせてもらった体験談は、20年以上経った今も心に残っています。

もし今の私があの時の祖父に会って話を聞けたなら、また別の見方ができたでしょうし、多くのことを吸収できたと思うと、残念です。ただ、訳が分からなくても、イヤであっても、「戦争体験者の話を聞く」という機会を与えてくれた中学と高校の先生には感謝しています。本やテレビではわからない「全身に伝わるもの」を与えてくれたのですから。
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戦争や戦没者追悼に関しては様々なイデオロギーがあり、単純にはいかない大人の事情が存在します。しかし、今日の追悼式に参列して「体感」することの大切さを再確認しました。事情は色々あるのでしょうが、事実として
◆過去に日本では戦争があり多くの人がその犠牲になったこと、
◆そして戦後63年経った今でもその傷が残っていること、
◆さらにその実体験を語れる人が年々少なくなっているということ、
をしっかり受けとめ、伝えていかなければならないと思いました。

今日はこの夏一番の暑さでした。夏の陽射しで忠魂碑を囲む濃緑の木々からは「樹の香り」が立ち上り、それを乾いた爽やかな空気が私のもとまで運んできました。この香りを嗅ぐ度に、今日のこの気持ちを思い出すかもしれません。

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