2008年05月02日

『一人一役』と『当て役』

私は以前から『一人一役』が理想だと思っている。

月形のような小さな町であっても、様々な分野の色々な役がある。役を受ける側とすれば、一役に集中することによってより深く濃く関わることができると思うし、役をお願いする組織としては、否応なしに沢山の人に参加してもらうようになり、活性化すると考えるから。

しかしながら現実はそうはいかない。『当て役』なるモノが存在する。下部組織の役に入ると自動的に別の組織のある役になっているというアレ。私自身も様々な当て役(もちろんそれ以外に自由意志に基づいて参加している役もあるが)を受けている。

議員になる前、私はこれらの当て役に非常に抵抗があり、できるだけ受けないようにしてきた。しかし最近この『当て役』が『組織の繋がり』にとって重要で、また自分自身の知識の広がりや深みに役立っていることを理解できるようになった。でも、でも、やっぱり、現実を見た場合に矛盾を感じる。

多くの組織で同じような顔ぶれが並んで会議をしていること、飛躍的なアイデアが少なくなっていること、緊張感が薄くなっていること・・・。各組織共通の悩みは、こんな『当て役』に起因するのではないか?。 一般公募はできないものなのか?
それに私自身(あるいは、役に携わる一部の人達のみ)の知識や見識を深くしたところで、果たして町全体の利益に繋がるのだろうか?沢山の人が少しずつでも知識や見識を増やした方が、見方や考えが広がって総合的には町の活性化の礎になるのではないか?

「公募したって応募する人がいない。」
「色々な事情で役を受けられる人が限られているんだ。」
「ほとんどの役は誰でもできるんだ。」

こんな声が聞こえてきそう。でも結局は民度の問題?それとも、組織運営の怠慢?

役の少なかった1年間に比べ、私の知識や見識は格段に広がっている。しかしアイデアはしぼんでいっている気もする。これを「良識的になった」「総合的に判断できるようになった」と捉えられては身も蓋もない。組織に活性化には新しい風がぜひとも必要だ!

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